課題の提出期限について

私には絶対的に守らなければならないこだわりがある。

それは、課題の締め切りを間に合わせる事だ。
しっかり課題をこなしている人にとっては、あまりに自明な事であって、わざわざこうやって話題に持ち上げる事でも無いと思うに違いない。
だが、与えられた期日に間に合わないという事がどれだけ重い事かについて、今一度考えるべきだと思い、私なりの期日への考えを書くことにする。

まずは、期日とは何を意味するかについてだ。
建築学科生は、その対象があまりにも大きいため、プロダクトデザイン学科の様に、リアルな実物大のモックアップを作成し、現実的な検証をすることは難しい。
学生一人一人が実際に建築物を作るという事はまず無いといっていい。
なので我々は模型を作り、図面を書き、伝達手段としてイメージ画像やCG等を用いて第三者に作品の意図を伝える。
全てシミュレーションが前提の作業である。

制限ある敷地に、設定されたクライアント像、実際に建つかどうかはそこまで重視されない為、与えられた命題にどう答えるかが設計課題の主たる評価対象である。

私の学部は夜間部なので、既に設計実務をしている方もいれば、高校を卒業後現役で入学してきた全くの未経験者もいる。当然実務経験者の図面や模型は正しく美しいが、やはりアイデアが肝心であり、必ずしも経験者が有利とは限らない所が、この設計製図の面白い所でもある。

さて、期日とは、この場合でいうと何を意味するのか。

仕事でいえば期限は絶対を意味し、私の仕事の場合でいっても希望している期日に間に合わないと判断すれば、即座に断らなければならない。
誰もがスティーブジョブズの様であってはならないのである。

学生課題となると、間に合わないからといって、社会的信用をそれほど失う訳では無く、せいぜい講師から期待されなくなるくらいで済み、さほど罪深い行為では無い様に思える。

期日に間に合わないという事が、周囲の期待や信頼などの何かの損失につながるという事を言いたいのでは無く、価値観的な論点から期日に間に合う事が如何に重要な意味を持つかについてを書きたい。

作品を完成させるという事は、自分でピリオドを打った事を意味している。
課題内容を発表されたその日から、布団の中、電車内、仕事の休憩中、トイレなど、至る所で構想を練り、自分のパターンが出来上がってきたら、次第に立体へ形を作っていく。
その日の夜、すごく良いと思っていた事が、翌日の朝にはイマイチだと思う事もある。
そうしたモヤモヤした日の中でも、いつかは完成させなければならない。
作品は妥協無しにはありえないと私は思う。

そういった経緯で完成した作品は、自分が終止符を打ったので、作品の「責任」たるものが確立される。
完成させたので、逃げ場はもう無い。
完成させた後に「ここはこうしたかった」というタラレバ的な事を言っていては美しくない。
提出する事によって責任が出来上がるのである。

未完成のままだと、これがどうなるか。
終わりが無いという事は、極端にいえば、形もコンセプトもまだ幾らでも変えられるという事である。

仕事が忙しくて時間が取れなかったのかもしれない。あるいは1ヶ月という短い期間では十分にまとめる余裕が無かったのかもしれない。
いくらでも理由はあるだろうが、私達第三者が見るものは作りかけの作品で、あとは「ここはこうしたかった」と形の無いものへ自らが補足していくしか道は無いのである。

こういった思いもあり、提出期限というのは絶対的に守らなければならない。

「世の中がわかる「○○主義」の基礎知識」を読む

世の中がわかる「○○主義」の基礎知識 (PHP新書 470)」は、世界中を取り巻くナントカ主義について、それぞれがどういう主張をしていて、どういった思想と対立しているかなどを図示して、素人の私にも解りやすく比較させている。
この本の良い点は、吉岡さん当人による偏向な主張が一切無く、どの思想も中立に説明されているので、嫌味が無くさまざまなナントカ主義の相関図を理解できるところにある。

だが、この手の話をすると、「●●主義とかどーでもいい、自分の個性こそ重要だ」と言う人がいる。
しかし「新しさ」を追い求めるそんな人達はロマン主義者とカテゴライズされる。
他には、世の中を否定し、人間の存在を否定し、是か否も存在しないというスタンスの人もいるが、それはそれで虚無主義者とカテゴライズされてしまう。
「どんだけ頑張ってナントカ主義から離れようとしても、その「離れたい」という行為自体が既にその人の思想だから、ナントカ主義から開放される事は無理。
無理だから出来る限り理解して上手に付き合いましょう。」とこの本は言っている様に思う。
思想はまさにその人そのものだと思うので、「自分は一体何者か」を理解する助けになるのではないだろうか。