人間:Steve Jobs

スティーブ・ジョブズ
マッキントッシュユーザーならこの男を知らないはずは無いだろう。
現アップルコンピューターCEO、ピクサーCEOであり、iPod産みの親でもある
コンピューター、音楽、映画の3つの業界で成功し、世界で最も有名な経営者の一人である。

スティーブ・ジョブズ-偶像復活」と「スティーブ・ジョブズ神の交渉術―独裁者、裏切り者、傍若無人…と言われ、なぜ全米最強CEOになれたのか」を読んだ。
幾つか内容が重複していたが、私が思う事を書こうと思う。
先に言っておくが、マッキントッシュはジョブズが開発していたものではない。原形はパートナーであったウォズが設計したものであるし、映画「トイストーリー」もジョン・ラセターが本当の産みの親である。

彼の事を現実歪曲空間と呼ばれているが、他人のものを自分が作ったかのように相手に信じ込ませる能力に長けており、マッキントッシュもiMacもiTMSもピクサー映画も、革新的なモノをまるで自分が作り出したかの様に振るまっている。

まだパーソナルコンピューターという概念自体が生まれていない時期に、「完成品のサイズが電話帳以上になることは許されない」だとか「開発期間は2ヶ月」と無謀な事を言い、優秀な技術者のモチベーションを維持させる事に貢献していた。

特にマックの発売に関してジョブズは
マックは自分の為に作った。すごいかどうかは自分が判断する。市場調査するつもりなんかなかった。グラハムベルが電話を発明したとき、市場調査をしたと思うかい?するわけないじゃないか」と言っている。

この発言から読み取れる事は、彼はビジネスマンでは無い事だ。普通なら何か新製品を作る時は、市場のニーズをくまなく調べて皆が欲しがる「ちょっといいもの」を作ろうとする。

だが、他人に耳を貸さないジョブズは「どこにもないもの」「すごくいいもの」は必ず売れる。自分を信じる事が重要だと言っている。
すごく単純かつシンプルすぎる話であるが、かの有名な本田宗一郎も「独創的な新製品を作るヒントを得ようとしたら、市場調査の効力はゼロとなる。大衆の知恵は決して創意など持っていないのである。大衆は作家ではなく批評家なのである。作家である企業が、自分でアイデアを考えずに、大衆にそれを求めたら、もう作家ではなくなるのである。大衆がもろ手をあえて絶賛する商品は、大衆のまったく気のつかなかった楽しみを提供する、新しい内容のものでなければならない」と言っており、「需要は自分が作り出す」という点で似ているものがあると、本に書かれている。

さらに興味深いのは。彼は大学中退者で、専門的な学術機関で科学を学んでいないにも関わらず、エレクトロニクス業界のトップに君臨している点である。
彼の大嫌いなマイクロソフトのビルゲイツは中退したものの(のちに名誉博士を送られている)ハーバード大学でコンピューターサイエンスを学んでいた。

今やネットで世界一有名なグーグルの創業者2人もスタンフォード大学出身者で、ITのベンチャー企業を起こすには物理・数学から始まる高度な専門知識が必要不可欠(アメリカでは特に)であるが、人を巻き込む情熱と圧倒的で魅力的なプレゼンテーション(youtubeで見れるので参考に)で、技術屋をある意味マインドコントロールして頂点に立っている。

1度ジョブズが誘ったペプシコーラでマーケティング部門を担当していたジョン・スカリーにアップルを追放されるが、その後自費でNeXTとピクサーを設立して、最終的にNeXTをアップルに買収させてCEOに返り咲いたりと、まさに「こいつぁ参った!」だらけの偉人である。

グーグルのサクセスストーリー本「Google誕生 —ガレージで生まれたサーチ・モンスター」も充分おもしろいが、失敗のデカさがジョブズの方が圧倒的に大きい。

そんなスティーブジョブズから何を学ぶか、それはエレベーターで乗ってから降りる間に社員をクビにしたり、アップル前社長ギル・アメリオ(アップル薄氷の500日に詳しい)の努力で黒字経営に戻した事を自分の功績として横取りする事でもない。

単純だが、「やりたい事を早く見つけて絶対にあきらめるな」という事である。
自分に足りない部分は情熱で人が動いて助けてくれるかもしれない、何度も何度も熱意を伝えればいつかは伝わるかもしれない、年を取るにつれ自分に出来る事を予め予測して計画しがちな私に、60歳を過ぎても「がむしゃら」が衰えない(むしろ加速している)スティーブ・ジョブズから大きな刺激を受けた。

「自分の中に毒を持て」を読む

私は故岡本太郎が好きだ。
といっても、彼の作品についてはあまり詳しくないので絵や彫刻のここが良いという話では無く、彼の生き方や繰り返す主張していたメッセージが私がモヤモヤして自信を持てずにいたことをはっきりと解決してくれるからだ。
この本は著者が亡くなる3年前に書き残した文庫本であるが、参考になった部分を私の解釈で一部紹介させて頂く。

まずは幸福の意味について
-僕は”幸福反対論者”だ。幸福というのは、自分につらいことや心配なことが何もなくて、ぬくぬくと、安全な状態をいうんだ。
~中略~
ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。ぼくは幸福という言葉は嫌いだ。
ぼくはその代わりに”歓喜”という言葉を使う。
危険なこと、辛いこと、つまり死と対面し対決するとき、人間は燃え上がる。それは生きがいであり、そのときわきおこるのがしあわせでなくて、”歓喜”なんだ。

これは大学で経済学の講義を初めて受けた時、講師が「経済学という学問の目的は”生活の豊かさ”が根本的にある」と言っていた事を思い出した。
ありとあらゆる対象をサンプリングしてデータにし、統計的推測を用いて現在・未来の状態を考察して、「よりよい生活を」と言いたいのだろうが、私は違うと思った。
なぜ幸せの追求である経済が発展している先進国が電車で暗い顔していたり、心ない残虐な事件を起こすのか、どうもこの発言には矛盾を感じていて、豊かさの追求の中に心の豊かさは含まれていないのではと思っていた。
岡本太郎は「芸術は呪術だ」というし、「生きるという営みは本来、無条件で無目的である」とも言う。
「しあわせ」という状態に、必ず絡んでくる「生活レベル」。(口では言わないが、殆どの人は結局のところ生活の裕福度=幸せレベルで計っているだろう)
今の受験戦争、格差社会、アウトソーシング どれもこれもカネに纏わる話だ。
受験戦争がカネと関係無いと思う人もいるかもしれないが、彼らは特に学びたい学問があるのではなく、それよりも自分にハクを付けたいという動機が圧倒的だ。

岡本太郎は「生身で運命と対決して歓喜するのが本当の生命感。合理に非合理をつきつけ、目的的思考のなかに無償を爆発させる。あいまいに、ミックスさせることではない。猛烈に対立し、きしみあい、火花を散らす。それによって人間は、”生きる”手ごたえを再びつかみとることが出来るだろう。」という。
合理的に処理しようと発展した結果、人間が考える事をやめてしまったのだ。
年老いたお偉い教授も、我々若者に対しネットがあるから自分で調べる事をしないような言い方をする。そういった傾向が見られる人に言うのは自由だが、まだ何も話していない初めて会った人に失礼だろう。
そういった先入観でものを言う人は置いておいて、合理的に事を進めるよりも情熱的に物事と”対決”したほうが、不合理でカネにならないかもしれないが、生きる意味を考えると決して無駄なことではないように思う。

続いて男女関係について
-恋愛と結婚とは全く別の事だと思う。
むしろ、”結婚は恋愛の墓場”というのは当たっている。結婚すると緊張もなくなり、双方安心してしまうので、もはや燃えるものはない。
~中略~
とかく妻子があると、社会的なすべてのシステムに順応してしまう。たった一人ならうまくいこうがいくまいが、どこで死のうが知ったことではない。思いのままの行動がとれる。
家族というシステムによって、何の保障もされていないことが、真の生きがいであると思う。
だからぼくは独身を通してきたのだ。
これを女性の側に立って言えば、”本当はこっちの人が好きなんだけど、社会的に偉くなりそうもないし、あの人と結婚すれば、将来の生活が安心だから・・・”などという結婚は、極端にいうと一種の売春行為である。

よくぞ言ってくれたと言えばいいだろうか。男と女の話は今も昔も似ていて進歩していないのが興味深いが、とある哲学者は「結婚は世界史に残る女性の革命的な勝利だ」と言っていた。
岡本太郎の純粋っぽさというか、あの独特のキャラクターは、彼の恋愛感を見ても伝わってくる。
彼は世界中の女性と同棲しているが、生涯独身である。この上記の発言は、岡本太郎だからこそ言える言葉かもしれない。私がこんな事を主張して、女性にソッポを向かれても、それを貫けるかどうかは別問題だ。

だが、後半部分の「一種の売春行為」という表現は素晴らしい。
最近はセレブという言葉がテレビでも周りでも流行しているが、タレントのセレブ婚に、「勝ち組」やら「負け犬」という分類の仕方、さらには昨日友人が言っていた「セレブコンパ」の存在を聞いていて、なんでもっと大切なモノが分からないかと思っていた。
生活が安心だからとかで相手を選ぶのは、相手を愛していない証拠である。

ほかにも、作品展で見に来た人が見てすぐ「あら、いいわね」というのは「どうでもいいわね」と同じ事だと言って見せたり、岡本太郎で無ければ叩かれかねない刺激的な言葉が並んでいるこの本は、疲れている人が読めば栄養剤よりも心の奥で何か晴れると思う。