喫煙モラルの瓦解

今日の昼、美術大学に通っていた友人と買い物に出掛けた。
私は昼間に通う大学生と交流する機会があまり無いので、会う度に様々な情報交換をしているのだが、その途中大学生の喫煙事情について話しをしていた所、衝撃的な事実を耳にした。

なんと、その友人が通う大学では喫煙所が無く、講義室や廊下で吸っている人が結構いるというのである。
詳しく聞くと、学生作品の講評会中、講師がタバコを吸いながら講評したり、講師が居ない時は学生もタバコを吸いながら課題を作ったりしているらしい。
私が通っている大学はというと、屋上と地上階の外部にそれぞれ喫煙所があり、喫煙者はそこで集まって吸う至ってノーマルな環境なのだが、講義中では無いとはいえ、一部のふとどきな学生のみならず講師まで仕事中に喫煙しているという事がにわか信じられなかった。

私は喫煙者である。
最近の異常とも思える首都圏の禁煙化の流れと併せてすこし言いたい事がある。
JRのホームが全面禁煙化すると発表され、都心部にいる喫煙者は益々肩身が狭くなってしまった。
喫煙者人口は急激に減ってはいるが、平成20年の時点で、男性は39.5%女性は12.9%と、平均しても10人に3人は依然として喫煙者である。
(参考:http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd090000.html

ここからが難しくなるのだが、市民全員が住みやすい街づくりをするのであれば、30%を超えるこの喫煙者を押さえ込む事はすこし乱暴では無いだろうか?

禁煙者がどれほどタバコの煙に敏感なのは、私自身よく理解しているつもりである。交差点や歩道で歩きタバコは非常に迷惑であるし、それが個人の嗜好品の範囲内で収まるものでは無いと思ってる。分煙化も、吸わない人だけではなく、吸う側も余計な精神的負担が無くなり、禁煙者の為に完全に隔離してもらった方が助かるものだ。

しかし、公共の場を完全に禁煙にするという話は、理屈は理解しても納得は出来ない。
もし喫煙人口が全体の1割未満であれば、民主国家らしくゴリ押してもしょうがないと思えてしまうのだが、3割以上いるとなると、禁煙者に理屈を合わせるというものは公共の場として相応しいかどうか疑問に思うのである。

それによって出来る弊害は、例えば路上喫煙禁止区域の中で、数箇所だけ喫煙所を作ってしまうと、ものすごい数の人がそこに集まり、局所的な環境被害が起こってしまう。
運悪く自宅の隣がタバコ屋さんで、屋外に灰皿がたくさん設置していたらたまったものではない。
他には、旧型の新幹線では禁煙席に座っている喫煙者がタバコを吸いに喫煙車両へやってきて、空いてる席で吸い、吸い終わったらクリーンな禁煙車両へ戻る人がいる。私は新幹線は必ず禁煙車両に乗るが、喫煙車両に乗っている人にとっては、なんだかゴミだけ置いて出て行った気分になるものだ。

喫煙者が実際まだマイナーな存在では無いのだから、「みんなが住みやすいまち」を考えれば当然喫煙者にとっても住みやすい(吸いやすい)まちにすべきだ。

とはいえ、何があろうと禁煙者にとっては、人が吐き出す煙を見たくもないし、身体に取り込みたくもないただの「害」の何者でも無い訳である。
話しを最初に戻すが、友人が通っている大学を例にとれば、7割以上喫煙者だといっていたので、通常とは逆の、禁煙者がガマンを強いられる大学なのだ。喫煙者の私でも禁煙の友人がとても可哀相に思えて仕方がない。

上記の学校の様に、本来被害を被るはずの禁煙者がガマンする状態はまず絶対にダメ。
だからといって、禁煙者だけの価値観に合わせて、乱暴に喫煙者を排除しても、現に10人に3人以上が喫煙者なので平等な社会だとは言い難い。

では、どうすればよいのであろうか?
結論はまた次回。

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