法廷プレゼンテーション

小論文の練習を兼ねて、以下の記事について思った事を書いてみる。

スタート裁判員:4人が質問--さいたま地裁
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090811ddm041040016000c.html

昨日、全国で2度目となる裁判員制度が適用された事件の裁判が行われた。
上記の記事を読むと、法廷も変わったんだなと思う所がある。

閉廷後、間川弁護士は「1週間、朝晩1時間ずつ練習した。直接語りかける方が弁護側のストーリーが伝わる」と説明。傍聴した大学3年の女性(20)は「まるでドラマに出てくる弁護士のようだった」と話した。

弁護士は自席ではなく廷内中央の証言台へ歩み寄って、裁判員に向き合って被告人への情状酌量を訴え話術で弁護し、検察官は逆に言葉では無く被害者の傷が解るCT画像と、凶器に使われた「モノ」を持ち込み、被告人の犯した罪の重さを主張する。

どちらも通常私が想像している法廷の風景とは一味も二味も違い、それらは裁判員制度が始まった事によって弁護側検察側が裁判員に合わせている様に感じるのだ。

そもそも裁判員制度が生まれた背景には、一般人の「素人性」や法律のプロから離れた「客観性」を取り入れる事と、国民の司法への関心・理解を深めるという意義がある。
その素人性が、判決に直接影響を与えるので、当然ながら弁護・検察双方が論理性よりも心理的効果を優先した、云わば「法廷プレゼンテーション」が競われているのではないだろうか。

自席を立ち上がって、手元のメモを読みながら専門的な内容を話すよりも、前に出て身振り手振りで誰でも解る語彙で説明した方が良く、「刃渡り○センチの危険な凶器」と言葉で説明するよりもエッジが光る鋭い実物を見せた方が心理的効果は高い。

従来の静粛で論理力に重点を置かれた法廷の風景と、どちらの方が「良い裁判」を行っているといえるだろうか。
私はプレゼン法廷の方が良いと考えている。
なぜかというと、カヤックさん独自のミニボーナス制度である「サイコロ給」の設立主意と同じく、「人が人を判定する事」自体に否定的だからだ。
だからといって、ロボットが決めたりしていてはもっと問題なので、弁護・検察間の競争においてより多角的なスキルで争えるようにしたほうが平等だと思うのである。

論理力や、冷静さをウリにしている検察官は、それを思う存分に発揮し、逆に感情的で説得力がある例え話が出来る弁護士は話術で勝負すればよい。
自分の意見をどのようにすれば一番相手にピンポイントで伝わるかの答えがソレであれば、「法廷の振る舞い方テンプレート」に合わせてしまうよりも、個性が尊重された時代に即した裁判制度といえるのではないだろうか。

補足
何も調べずに書いていて後で調べたら前からネタになっていたようです。
失礼しました。

2 Replies to “法廷プレゼンテーション”

  1. wordpressより: 法廷プレゼンテーション: 小論文の練習を兼ねて、以下の記事について思った事を書いてみる。
    スタート裁判員:4人が質問--さいたま地裁 http://mainich.. http://bit.ly/HzoW4

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