デザイナーとアーチスト

先日の晩、あるウェブ上のコミュニティで知人と建築の話をしていた。
そろそろ話題も尽きようかと思った矢先、とある人(以下Aさん)が参加し、その後「デザインとアートの違い」についての考え方の違いから1対1でバトルすることになる。
そういえば以前にも似たような事があったものだ。

デザインとアートは一緒か否か。
これをお題に話しを進めるにはあまりにネタが大きすぎて互いの主張が交ざり合いにくいトピックではあるが、私が今まで聞いてきた中では違うと答える人が圧倒的に多い様に感じる。

以下 同じテーマで面白かったブログと記事
art and zen アートとデザインの違いとは?
原研哉 情報建築としてのデザイン の 「デザインとアート」
彦坂尚嘉の〈第41次元〉アート アートとデザインの区別
Graphic Media The Difference between Art and Design
Art and Design: What’s the Big Difference?

Aさんももちろん否定派。彼がどんな経歴なのかは全く分からない。
違うと答える人の大半は、デザイナーは誰かのためにする「仕事」であり、アーティストは自己表現のためにする「創作活動」という見方が多い。
対する私は過去は別物だと思ってきたのだが、最近の業種もライフスタイルも多様化しすぎた現代社会を見るに、その線引きはほぼ無いに等しいと思っている立場。

普段ならそれは人それぞれ~で終わりそうな事なのだが、Aさんは絶対的に違うと語る熱い人で、また私の主張に全く反対の意見を返す人だったので、その結果衝突は妨げられなかった。
細かく整理しようとすると、なかなかスッキリしない内容で、それにカフェ等で美大出身の友人と話しているときに頻繁に話題になるトピックなので、そのやりとりを一部紹介したい。

その話に入るまでは、Aさんの好きな建築家である藤森照信氏や、中村好文氏の作品について話したり、また私が関心があるRem Koolhaas建築理論Coop Himmelblauの思想について語ろうとしていた。

その途中出てきた話の中で、私が「過去に大阪万博を最後に今じゃ殆ど聞かなくなりましたが、日本人の建築家達が新陳代謝をキーワードに主張していた建築運動があったんですよ」と言うと、「主張する建築はすきじゃない」と返ってきた。
「建築はアートじゃないじゃないですか。」
「実際にひとが利用するものなんだから利が適って無いと嫌だ。」
と続ける。
どうやら相づちの仕方からAさんはメタボリズムには興味が無かった様なので、以後これをきっかけに記事タイトルのテーマについて話が切り替わる。

がmrkutai、がAさん。
なお、言葉遣い・漢字の誤り等は修正し、少しでも個人情報に関わりそうなものは省いている。

「アートになってしまった建築ならたくさんあると思いますけど。エッフェル塔とかロンシャン礼拝堂とか、その場の用よりも美術的言及の方が目立ってません?」

「建築って人間の営み全部を包括したようなものだから、時代背景とか流行で捉えられ方がどうにでもなっちゃうものだと思いますよ」

「デザイナーとアーティストの違いですね。アート建築っていうのならばいいのかもしれないけど、そんなもの実在するんだろうか」

「その違い、昔は違うと思ってましたが、今では寧ろ同じものだと思うようになりましたよ。私は。」

「同じにしちゃだめですよ。仕事にする人なら、なおさらだめ」

「良いか駄目かで話す内容じゃないですよ。この話。」

「だめですよ。」

「じゃあなぜ駄目なのか言ってみてください。」

「アーティストは自分を表現するものでしょ。デザイナーはそうじゃない。その違いですよ。」

「いや、そんな簡単な分類の仕方であれば自明の事でして。」

「アーティストは自己表現が目的だとしても、そのための手段やその自己表現の意味を辿れば、全部が全部

「自分を表現するもの」では無いと思います。中にはある国家の政治への反対の意思表明であったり、宗教的な要素をもつものだったり、ほかで言えばある「アート」が誰かしらが産業的な価値があると認めたならば、実はグッドデザインであったりする場合もありうると思いますし。」

「敢えて分類するとすれば、デザインはアートという概念の一部だと。」

「いや、ごちゃごちゃにしすぎだよ。危険です。」

「アーティストはデザイナーとして認められた場合のみ、成立するって事かもしれません。」

「その逆もありますよ。」

「名前が売れた時の話でしょ。」

「ならばあなたの言う認められた場合というのも、名前が売れた時とほぼ同意なので説明できてしまいますよ。」

「では例を出しますけど、柳宗理さんの仕事、現在はデザイナーとして、「デザイン的」な評価を占めてますか?」

「カトラリーなどのキッチン周りは自分も愛用しているので良いデザインだと思って”使って”ますが、特に言いたいのはあの有名なスツールはなぜ美術館に展示されてるのかと言うことです。」

「それでも、Gマークは一杯とってますよ。」

「そんなマーケティングに利用されてるお墨付きは、今話している内容とは関係無いです。」

「アートじゃないですよ、あれは。もうわかりきった事じゃないですか。」

「アーティストじゃないよ。失礼だよ。あれをアートにしたら怒ると思うよ」

この一言で私は少し苛立った。

「いや、ですから分類としてのデザインとしてや、自称している肩書きがデザイナーだからウンヌンという事ではなく、現状柳宗理さんをどのように評価されてるかと聞きたいんです。勿論世界的に有名な工業デザイナーであることは知ってますし、工業製品だけでなく歩道橋のデザインもしたりデザイナーとして認知されてる事は確かです。著書の「エッセイ」も読んだ事はあるので彼が言う「用と美」については私なりにある程度は理解してるつもりです。でも、幾ら本人がそう言ったとしても、中にはその用と美を鑑賞品として見る例外もあるわけで、インテリアの小物にしてしまう人だって過去知り合いにいましたし。」

「いるのですか。」

「それでさっき話にでたバタフライスツール。あれを今座れる実用的な椅子だと思って使っている人、そんなにいないと思います。」

「いや、実用品でしょう。」

「ある渋谷の家具屋(hhstyle.comのこと)で見かけたときは、上にポストカードが乗ってましたし、それにあれはMOMAやルーブルに収蔵されてるんですよ。どちらも美術館ですよね。」

「www」

「実用品の美として、展示されてるんですよ」

「うんそのとおり。ですから日用品という立場から飛躍して美術的な価値があると認められたから、美術館に保存されてるんですよね。そこに出てる説明書きが「実用品の美」だとして、「工業デザイン」だと強調してあるとしても、現実の扱われ方や、普通の人々がバタフライスツールを見る目は美術品としての要素が強いかと」

「違いますよ」

「違ってないです。あなたが言うアートとデザインの定義に従っているとすれば、本人が拒否をするはずです。展示せずに使ってくれーって。」

「デザインの勉強をされたことはありますか・・・?」

「あっても無くても、それが何か関係ありますか?」

「いや、まあいいや・・・大事な事だと思ったので・・・」

「なら是非言ってください」

「デザインを学ぶ学生はそこを痛いほど教え込まれるんですよ」

「ですから、その指示代名詞の中身を聞いてるんです」

「いやでも、工業系出身ならさほど困らないかもしれませんね・・・」

以上である。
どうやらAさんはアートよりもデザインに興味アリで、下線部からアートというものを意味・意義の無いものだと思っているように感じられた。
私にも反省すべき点は多々ある。
多少感情的になり、挑発的な言動になってしまった事や、自分の主張をバタフライスツールが美術館に収蔵されているという事実でゴリ押ししようとしている点などである。
話の印象(特に最後の方)から、私の事を「言ってもわからないやつ」と切り捨てた様に思われる。

私はAさんはおそらく過去デザインの学校にいって、先生から「デザインとはこうあるべきだ」という教えを受けてきて、それを疑わずに教典のように今でも信じ込んでいるフシがあると思った。
なぜ「疑わず」かというと、疑った経験があるならば私が工業デザイン製品が美術館に収蔵されている例を挙げようものならば、”実用品でしょ”とか”Gマークはついている”という自分なりのデザイン観を説明するに必要な事柄を主観的で関連性の薄い内容に収斂させる事無く、具体例を挙げて論理的に反論できるはずだからだ。

「アート」や「ファッション」は、時として否定的な意味を含む場合がある。
・「アートじゃないんだから、ちゃんと考えろ」
・「それをファッションだとは思わないでほしい」

という風に、「格好だけのもの」「意味のないもの」「社会的意義を無視した利己的なもの」といった意味のメタファーとしてよく耳にする。

美術と芸術。どちらも英訳するとartであり、その二つの違いをサクッと説明することは簡単ではないし、誰かが定義すればすぐに複数の反論が出てきそうな話である。
アートとデザインは、どちらも美を求めているという点で共通(極端な例として一般向けでは無く、むしろ醜いものとして扱われがちな死体にしても、大勢の人からその状況や込められたメッセージに美的価値があると認められたからPeter WitkinMapplethorpeの様な写真家やがアーティストとして歴史に残っている)であり、ある時は政治的プロパガンダに利用されたり、工業製品にプリントされたり、小中高の教育プログラムに入っていたり、敢えて言うまでもない事だが「アート」は社会と密接に関係しているし、それがデザインの仕事である「問題解決」の糸口になる場合だって十分ありうるのだ。
その糸口という点では度々私のブログに登場する私の心のスーパースター:石井裕氏がしている事を眺めれば、とてもアートとデザインは違うとはいえないのである。
デザインという手法で問題解決をするにあたりその「問題」の本質的な部分、いわば製品の三階層でいう核にあたる部分と、アートが視覚的に現れるそれ以前の個人的な体験や主張したい事、どれもこれも定性的で情緒的なものではないだろうか。

だからデザインというカテゴリーを飛び越えて、美術的な鑑賞的な価値があると美術館に展示されたバタフライスツールの話も、「結局どうとでもなる」というアートの概念の幅広さから、
「敢えて分類するとすれば、デザインはアートという概念の一部だと。」と私は表現した。

Aさんが苛立っているであろう事も、話のわからんやつだと思ってしまう事も、今読み返すとどこでそうなったかは大体予想はできる。
しかし、アーティスト(笑)のような言動には黙っていられなかった。

思えば来年行く予定の大学院の試験問題は、
「~について、あなたの考えを述べなさい」
「あなたが考える○○の原則を定義しなさい」
「~について、あなたの言葉で表現しなさい」
と、正解の無い受験者側からすれば悩ましい独特の問題文がかなり多かった。
研究室のマッチングももちろん重要ではあるが、学校側のこういう風土が気に入って、行こうと思ったのが本音である。

私の信条である

Ask Why(常に疑え)」

Only the Paranoid Survive(Paranoid(被害妄想のひどい者)だけが生き残る)」。

まだまだ未熟ではあるし、表現も平易になってしまうが受け売りだけはしたくないのである。

3 Replies to “デザイナーとアーチスト”

  1. こんにちは。
    僕も夜間デザインを学ぶ社会人大学生です。
    ネットサーフィンしてて偶然通りかかったのですが、
    興味深いテーマだったので思わずコメントさせていただきました。

    デザインとアート。
    デザインを学ぶ者には永遠のテーマですよね。

    僕はデザインとアートは共通する部分もあるし、それぞれオリジナルな部分もあると思います。「建築はアートか?」という問いにも同じことが言えると思います。それを「同じだ」「違う」と議論するのはナンセンスな気がします。それより何処が共通していて何処がオリジナルなのか、というデザインとアート、建築とアートの関係性を考える方が有益ではないでしょうか。

  2. tadaoh様

    はじめまして。
    コメントありがとうございます!

    私は”美”というものをどちらでも扱っている以上、それに対し結論を出そうとする事は確かにナンセンスだと思います。
    ある先生に「グダグダ言葉で語る暇あったら形で示してこい」と言われた事があり、プレーヤーになりたい者はその思考の結果をあくまで形でプロットする事に集中して、議論をするのは評論者側にまかせるべきだと。
    tadaohさんのブログ、チラ見させてもらいました。
    私も白州次郎が好きで一時期本を読み漁ってましたが、今ではある意味彼よりも個性的な正子夫人に興味があります。(笑)

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