卒業設計の裏テーマ

建築学生最後の提出物である卒業制作が終了し、本日をもって一般公開も終了した。
今回はなぜこんな暗すぎる卒業制作になったかを振り返ってみたいと思う。

卒業設計について日記を書いたのはこの記事が最初。
当時、大学院の試験と重なっていたので、それも少なからず影響し、まず卒業制作に対して自分がどういうスタンスを取るかを考えていた。
このブログで何度も書いているが、私は所謂ケンチクケンチクしていない人で、入学時の目的も建築を仕事にしたいというよりはあらゆることに興味があったのでそれを万遍なく学べる(学ぶ必要がある)分野に手を出そうと思ったからである。

途中何度か迷った時期もあったが、3年の夏頃から徐々にやりたいことがわかりはじめ、それが建築ではないとはっきりとしていたので、卒業制作は建築を目的とするのではなく、建築を言語として扱った様なものにしたいと考えるようになった。

卒業を前にしてこんな事を声を大にして言えないが、「空間」という言葉が正直ずっと好きではなかった。
私には「くうかん」という語感がどこか幻想的で胡散臭く聞こえ、一人一人違う「良い空間」は設計者とクライアント間という一対でしか合意しえないものなのに、日当たりが良く広々としたものが良いと自明のように語られ、それが守るべきテンプレートとして一人歩きしているように映っていたからである。
「ここ暗いね」「窮屈なんじゃない?」「使い手の事を考えて」といった指摘は、指摘する人の価値観そのものであり、暗くて狭く、少々機能的ではない面倒臭い部屋が好きな私では卒業制作を集合住宅や公共施設を用途にしてはいけないなと悟った。
もちろんなぜそれが好きなのかを徹底的に掘り下げてその魅力を解明し、結果暗くて狭い方が良いねと相手に納得させる事が重要であることはわかっている。
しかしそれは説得してまで伝えたい事でもなく、私のやりたいことではなかった。

自分が気になっていたことは、自分の学生生活4年間そのものであった。
朝起きてから仕事へ行き、終わったら早歩きで学校へ向かい、23時頃帰った後課題を始める。
金銭面でトラブルがあった2年の後期は、今だから言えるがかなり精神的に参っていた。
こういった事を続けていると、自分で選んだ事なのに、自分が可哀想に思えてくるという痛い被害者妄想を抱き始める。
食事の席で会社の愚痴ばかりを言う友人に、「そんなに嫌ならやめればいいのに」と言っても「自分がいなくなったら会社に迷惑かける」と言われ、「辞めたがってる人が一人いなくなったところで会社なんてそうそう傾かないって」と言えば怒り出す。
まあ怒って当然であるが。
とにかく毎日時間に縛られ追われ続け、土日は外に出ず誰とも会わずに一言も喋らない日が数週間続くと、東京生活がまるで監獄の様に思えてしまう。
朝早く電車に乗ればDSかPSPか寝るかの乗客しかいない中、夜中赤坂を歩けばおとなしそうな人が居酒屋から出てきて別人の様に酔って不満をぶちまける。

この、いつでも放棄できる選択権はあるのに自らせずに不満を抱き続ける閉塞感を、皮肉を込めて建築で見せられないかという事が自分らしい卒業設計のテーマになり得そうな気がした。

そうとなると、話に出てきた「監獄」、今っぽく言うと刑事施設に関心が向く。
刑務所であれば建築家といえども内部事情に精通している人は少ない。
それに上述した「良い空間」うんぬんよりも、置く場所や外観が話の主題にしても全く違和感が無く、マクロな視点でプレゼンが出来て当時の自分にフィットする。

2年の頃に当時非常勤講師をしていた永山祐子さんの班で課題を進めていたときによく言っていた「裏テーマ」という、口に出さず相手にも伝えず、自分だけでひそかに楽しむテーマを自分にも作ろうとした。

今回の卒業設計では表向きには
「都市郊外で厚い壁に覆われている既存の刑務所では社会との接点が絶たれ、それが原因で出所後も一般社会に馴染めず再犯を起こすだろう(予想)から都市部の人が集まり目立って尚かつ犯罪が多く起こる歓楽街に持ってきて、いつでも外側内側両方をドキドキさせて、収容者は入所時の感覚を忘れずにのんびりできずに壁の向こうに拡がる欲望の渦を想像しながら閉じ込められ、歩行者は判決が決着ではなくこうやって罪を償いながら生きているんですよと、関心の的を途中で終わらせずに出所時まで引き延ばせ、直接関わり合う事なく互いの存在を同期させる事が再犯を防ぐ手立てではないでしょうか。」

という事を言っているが、裏テーマは

「私たち財力も権力も無い若い単身上京組は何かに縛られ生きてるような感覚をもってます。
まるで監獄にいるみたいだから、本当の監獄をもってきて似てるかどうか比較してみましょう。
都会では全面ガラス張りでも住宅なら建物の距離が近すぎて丸見えだから、女性などは24時間カーテンを締めている人もいて、窓があってもなくても変わらない。
地震が起きたとき地上階に近い方がすぐ逃げられるのによく揺れる高層階がみんな大好き。
オフィスを外から丸見えにして士気向上させたり、カフェで打合せしてリラックスとかいうけど、いつどこで誰がみてるかもわからないからガラス張り全面開放より間仕切りに囲まれ、フリーアドレスより安心する個人机。
カフェミーティングより静かな会議室の方が本当は集中できる。
これら一見ヨシと思えるものは見方を変えればストレスの要因にもなってしまい、外の見れないスモークガラス張りで、上に行けば行くほど凶悪犯が生活し、下へ行けばいくほどシャバ(安全)に近づく高層ビルで、斜めの穴で目立たせて仕事中外からジロジロ見られるこの刑務所は実は私たち一般社会で起きている事をミラーリングしているだけでした」
である。

つまり、「うわー刑務所だ」と見て思ってるソレは実は自分達の身の回りで起きている事で、刑務所という先入観をもって見れば、全面ガラス張り、高層、オープンオフィスという一見良くみえてしまうものが「いやなもの」「いきたくないもの」に簡単に見えてしまいますよ。
という裏メッセージが込められているのである。

刑務所という浮いた存在は実はすごく身近なもので、良い事と悪い事は見方、先入観によって簡単に覆ってしまう。
合法か違法かの根拠はその多数決で成り立ち、多数決に漏れたもの、わけあって選択を意図的に誤ったものは社会から不要の烙印を押され、投獄される。
その良し悪しをただ違法だからで誰もが片付けてしまったら、法は人間が作っていくものなので次第に法律というものに主体性が無くなり、法によってコントロールすることができなくなり、逆に法によって縛られ続ける社会になりうる。

それに歯止めをかけるには、良い悪いは他者が選択せずに自ら考え出さなければならない。
先入観で良い悪いが決まってしまう世の中を刑務所が鏡のように映し出してそれらを気づかせ、メディア依存体質から抜け出して主体性を取り戻す事こそが、本質的に犯罪を世に減らせる方法ではないだろうか。

刑務所で起きてる問題は、内部ではなく外部が要因であり、外部が変わらなければ内部は決して変わらない。
これが説明で言わなかった卒業設計を通してこそこそと考えていたことである。

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