英語出来ない≠世界でやっていけない

自分の世代はメディアや留学経験者、海外で活躍する日本人などから「英語が出来なければ人生終了」と言われ続けてきたわけだが、本当にそうなのかわからなくなってきた。

例えば、こんな人がいたとする。

「英語が出来れば日本にまだ入ってきてないニュースが読めるし、世界で何が起きているかがわかるよー!」

こちらについては和訳サイトがめちゃくちゃ出てきた今、GIZMODETechcrunchが面白いニュースを即効で翻訳してくれている。
和訳サイトが拾わない様なニュースは確かに英語が出来る人しかわからない。だが、和訳サイトはたっくさんあるので、大抵どこかが拾っているし、他にもブロガーが日本語でまとめてる場合もある。
英語がわかる日本人が海外のニュースを見つけて楽しむ価値、優越感は、昔はそれだけで金儲けが出来たが、今となっては数時間の喜びぐらいにしかならない。

次に、こんな人がいたとする。

「英語が話せれば世界中の人と知り合う事ができるよー!」

確かに知り合う事が出来る。
しかし、知り合ったり旅先で会話するレベルであればGoogle Translate app for iPhoneがあれば問題ない。

http://googleblog.blogspot.com/2011/02/introducing-google-translate-app-for.html

ドラえもんのほんやくコンニャクを現在の技術で表現したようなシロモノ。
コミュニケーションスピードは落ちるが、「全く」英語を知らない人でもこの音声認識精度であれば十分である。

そして、こんな人もいたとする。

「英語を学ぶと日本語には無い事がわかったり発見できたり、語学を学ぶ事は素晴らしい事だよー!」

これはマチガイナイ。プログラミング言語でも何でもそうだが、手段・ツールのバラエティは増えれば増える程見識は広まるし、理解は深まる。だが、英語でなければならない事でもない。
欧米系の価値観に染まりきった状況下で、ゲルマン語派以外を学んだほうが「新しい発見」の機会はむしろ増える気がするし。

と、いうわけで、出来ない事を可能にする、知らない世界を知る、母語の理解をさらに深めるなど、これまで延々と語り継がれてきた英語の価値・魅力は、テクノロジーの前にいつか無くなってしまいそうで気になる。

いや、英語ブームは収まらないだろうし、学術でも国連でも何でも英語を統一言語とする動きは今後も無くならないと思う。
でも、勉強する「必要性」については考えてみると思ったほど無いと思うのだ。

以上の事から、英語を学ぶ「必要性」が本当にある人は、先っぽの人のみに限られるのではないだろうか。 大多数の日本人にとっては、「テクノロジーが何とかしてくれるさ」と楽観しているのは、思っているほど甘い考えのようには思えない気がしてならない。

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