Twitterと地震

昨日の午後二時四十六分の宮城県沖の大地震。

京都在住の自分は揺れた事すら気が付かなかったが、実家・東京の友人共に被害無しだったので一安心。

その日一日見てきたTwitterのTLを眺めていると、サーバールームでラックの下敷きになり腹部が潰され大量出血しているというデマがあった。

こんな時に不謹慎な人だなぁと思う反面、デマとわかった途端怒り散らす人達にもいかがなものかと思った。
噂の拡散は物凄く人間の本質的な負の部分が露骨に現れる現象だと思う。
原宿のパニックの様に、人間はこういう生き物なんだ。

警察に救助要請したり、実際に書かれた住所付近まで行ったりした優しい行動派は思う存分怒りをぶちまけていいと思うが、 RTボタンをポチっと押した程度の善意で果たして悪意さんに「死ね」とか言える人もよくわからない。

デマ発覚の後、今度はキレTweet、デマを沈めるTweetがものすごい勢いで発生する。
悪意さん一人と膨大な数の善意さんがやりあうだけで、被災者にとっては大事かもしれない情報が隠れてしまったかもしれない。

かもしれない としたのは、Twitterは緊急時情報共有サービスでは無いからだ。
使い方としてたまたまTwitterが有効であるからユーザーはそう使うのであって、それは機能では無くあくまでオプションという事を忘れてはならない。

だから地震が起きてても、自分が住んでいる所は全く問題無く、いつも通りどうでもいい事を呟いていても、それがTwitterである。「こんな時にくだらないことつぶやいてんじゃねえ!」と言うのは、私が定義する面倒くさい善意だ。

過去最大級の今回の地震。千葉県の工場が燃えたり、津波の被害がTVで流れた時はここは日本かと思えるほどショッキングな映像であったわけだが、そんな時に自分が取るべき事を考えたとき、結局は「なにもしない」以上の事が思いつかなかった。

「拡散希望」というおびただしい数のTweetが今でも流れている。

RTしたい気持ちはわかる。
遠隔地にいるだろう被災者に何かしてあげたい気持ちもわかる。
でも、実際に現場にいる人達は、果たしてそのTLを見るだろうか。
もし自分だったら周りにいる人に話しかけ顔を覚え、家族と大切な人の安否を確認する。
瓦礫に埋もれて身動きが取れなかったら、不特定多数の他人にお願いするよりは、着信音やアラーム音を最大に出して身の回りにいる人に自分の命を託す。

アウトプット先が不明瞭な善意は、時として何の役にも立たないノイズになる可能性がある。

某小学校が被災地に千羽鶴を送る様に、ホワイトバンドを買ってライブへ行く様に。
そしてその善意は、容易に否定出来ない。

 

最後に、緊急時「○○に気をつけて」といった情報を政府が気象庁がテレビがTwitterが言っても、殆ど役に立たない。
・引き続き警戒してください
・余震に注意してください
・いち早く避難してください
・くれぐれも気をつけてください
上記のものは、ヤバい揺れを体感した現場の人なら、冷静にアナウンスする人の100倍わかっているはずだ。

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