届かない声

言葉それ自体に意味はない

これは自分の価値観の一つ。

このCMの全く反対の事を言っているのだが、今回の巨大地震で余計にそう思うようになった。

地震が起きて以降、津波被害がクローズアップされたそのあとに、福島原発の問題が世界中でクローズアップされている。それに埋没されるかのように他の被災地の報道は深夜帯に被害状況を繰り返し放送するのみで、特に茨城県は取り上げられることすら無くさらに関東の計画停電のリストに入れられ(現在は除外)、そして書いてる今現在関東で震度5以上の地震が起き、日本東部の混乱は当分の間治まる気配は無い。

PCに向かっている間、同時にTwitterを見ているのだが、至る所で祈りTweetを見る。
これに対して突っ込む気は無いのだが、少なくとも言えることは祈りを表明しても送り先へ届く事は滅多に無いだろう。
届くのは、マスコミが報道しがいがあると判断した著名人の祈りか()、凝った手法で差別化が図られた祈り()。

「受け手がそれを見る見ないは問題じゃない」と言われそうだし、祈りをコンテンツのように扱う発言は不謹慎と叱られそうだが、祈るという行為は心の中でそう思い信じ続ける行為。
だから発言せずに心の奥底に留めれば良いのでは無いだろうか。否、Tweetしてもどっちもどっちか。

なぜこう言ったことを言い出すのかというと、こういった事態に対した軽々しい善意に嫌悪感を抱いているからだ。
震災後、スラックティビズムという言葉を初めて知った。
これは「やらない偽善よりやる偽善」ではない。

今から5年前、当時の私はホワイトバンドにぶつぶついっていた。
良い事をしてると本人は思い込み、ライブ演奏を見て、喜び、その後の本当に受け取るべき人々の動向にリアリティを持たずに接している人。

AAで表すならばこれだ。

的確すぎる。

 

1 Reply to “届かない声”

Leave a Reply

Your email address will not be published.