セカンドピリオド

 

 

先月半ばに書いた日記から約一ヶ月が経ち、就職活動は終わった。

開始から約2ヶ月。

地震の影響で選考が遅れた事も鑑みれば、想像してたモノよりもあっという間に終わってしまった。

その経過を詳しく書きたい所だが、選考方法もろもろ含め守秘がたくさんあるので、今確かに言えることは、昔家具メーカーにいた頃から行きたかった所で、そして一番仕事にしたいと思っていた職種であるという事。

ちょうど昨日に、ボスの前身の研究室のボスボスのOB会に出席し、関連会社の設計部の方と挨拶をし、歓迎され、益々来年からが楽しみになった所である。

さて、今回の就職活動が終わった現在、このブログを数年前から見てくださっている方であればお分かりかと思うが、一連の出来事は20歳の頃の自分の大きな決断に一つの決着をつける自分にとっては非常に大きく、そして重いイベントだったのだ。

それまでの長い長い8年間を、今回は改めて振り返りたい。 話は地元にいた頃に遡る。

18歳から2年間、当時は地元の小さなメーカーで工場と事務所を行き来しながら商品開発一歩手前のような事をしており、仕事帰りに決まってパチスロという日々を送っていた。

好きな車を買い、好きな仲間と遊び、週末は高校時代のツレと朝まで海とか山へ行く。

それはそれで満足した事もある反面、成人に近づくにつれなりたい本当の理想像とは離れていき、そんな淋しさも同時に感じていた。

 

それでも月日は流れ、20歳の年明けにこのブログで度々紹介している現Sunrise Advertising Solutions Co., Ltd.の代表で高校時代からの友人である岡本が東京から帰省していたので同じクラスの友人達も自分の車に乗せ、海沿いを走っていた。

Good luckの時にも書いたが、色々と変わった人間だ。

AB型からか知らないが、その日も確か紙パックのデカイ牛乳を片手にカメラ屋の前の駐車場で待っていた記憶がある。

ゲラゲラ笑いながら昔の話しで盛り上がっていたらあっという間に夜になり、最後に岡本を実家まで送る途中(何か女みたいな記述になってきた)、「立岩は東京に来たほうがいい。ここに留まるのは勿体無い。」と言い残し帰っていった。

その時は「またまたご冗談を」的な返しをして、自分は自宅へ戻った。

 

自分への不満に加え、迫り来る20歳。

何とかベターな方向に持っていけないかと悩んでは、目の前にある幸せもいいやと元に戻ったり、それを繰り返す。

そして数ヵ月後には、自分は自分に対し約束事を決める事になる。

それは「納得するまで地元へは帰らない」という単純なものである。

確か20歳になったばかりの出来事であった。

手持ちの私財を売れるモノは全て売り払い、職がない状態で、親しい極々身近な人のみ離れる事を告げ、上京する。

 

最初は日大に通っていた千葉の友人宅に転がり込んで、賃貸物件を探しに出かける。

だが、こちらはお客のはずなのに、こんな事がなかなかうまくいかない。

世間から見ればただの田舎からきた20歳の無職なのだから当然だ。

前年度分の源泉徴収票を片手に「すぐ働きますから信じて!」と必死になるが、何も証明出来ない自分にどの仲介業者もまるで相手にしてはくれない。

だが、自分の中では無職の間、そういうやり取りで自分が如何に無力かよく理解できた。

スタートとしては、三鷹や豪徳寺、西大島等を毎日歩きまわった刺激的な数週間だった事は確かである。

 

時は過ぎ、21歳になった2006年の4月、正式に大学生として建築を学び始める。

同時に岡本も都内の大学へ社会人のまま入学し、彼は経営を体系的に学び始める。

今では笑い話であるが、受験に必要な高校の調査書を取りに高校時代の担任の家に訪れたら、 まるで「おまえに大学など行けるはずがない」というような態度をされ、当時はそれなりヘコんだ記憶もこれを書いている途中思い出した。

 

物理と数学だけで1年が終わり、大学生活に慣れてきた2年生の頃には、このブログ「Surely You’re Joking, Mr.KUTAI!」を始めた。

サブタイトルの「It’s a evening student world」となっているのはこれが由来である。

現在の大学院生活につながる数々の出来事の殆どは、この夜間学生の東京滞在中に起きていた事が多すぎるので、夜学へ通っていた者として、今は違っていても原点という事で今後もずっと変えるつもりはない。

この頃、梅田望夫や小飼弾らの書籍やブログが出回り、彼らが若者をワクワクさせるものだから自分もウェブにハマった。だからレンタルブログではなくわざわざお金を払ってドメインとサーバーを借り、XAMPPでミラー環境でブログを作ってみたり、要も無いのにlinuxを入れてCUIで動かしたりと好奇心だけを頼りにコンピュータで遊んでいた。

この趣味も現在の自分の重要な1つの出来事である。

岡本と社会人の大学入学支援ポータルを始めようとあれこれやり取りしていた頃が本当に懐かしい。

 

その後は、こちらの経緯があって、紆余曲折を経て出した答えは、大学院へ行くということだった。

京都ではStatusnetを研究室へ導入してみたり、AASTに参加させて頂いたり、東京にいた時でも予測出来なかった出来事がたくさんある。本当は変化に気づかない位、集中して、その渦中にいる方がいいのだが、今日に限っては自己満でちょっとだけ振り返りたい。

一昨年からは自分のしている事、方向性が嫌だと思った事はないので、三日坊主の自分はマクロな部分ではもう卒業したのだろう。

 

学部の何倍ものスピードで大学院生活1年目が終わろうとした今年に入り、就職活動がスタートする。

年齢も職歴も、気にしたくなくてもどうしても気になる部分を抱えているのは学部の頃と大して変わらない。

実際にそれが理由でエントリーが出来なかった企業もある。

気遣って「そんな事気にするな」と周りの人は言ってくれたが、これは自分が解決せねばならない問題なので、全く耳に入れる事は出来なかった。逆に死ぬほど気にし、それがどのように自分のアピールポイントになるのか、そこを考え、整理しなければダメだと思っていた。

実際の選考も、「サークルで学んだ事」とか「学生生活で苦労した事」などなど、よくありそうな質問を聞かれた事は殆ど無かった。

大部分は自分の過去から現在までに関する話と、大学院で今している事と、そして未来をどのようにイメージしているか、この3点が中心であった。

そして今月のある日、就職活動は意外と早く終わった。

 

当日は、上記の過去話の何倍ものたくさんの出来事が一気に頭の中を駆け巡った。

家族とか自分の身近にいる人は何か照れくさいので置いておいて、地元を離れてから東京で出会ってきた様々な人が時系列に沿って順番に、脳裏に出てくる。

  • 高卒後右も左もわからない自分に、リスクを背負って大事な事を教えてくれた元上司のWさん
  • 上京後も今も、純粋に自分を応援してくれるMさん
  • パートをしてた家具メーカーで相談に乗ってくれた先輩のKさん、Mさん、Hさん
  • そこでCGモデラーをしてて仲良くなり、一緒に相撲にいったりプライベートでもお世話になっているMさん
  • 同じメーカーで現役学生ではやらせてもらえないような仕事を振ってくれた元部長のSさん
  • そこにインターンに来てて今でも仲の良いSさん
  • 進路に悩んでた三年の頃、ダメもとで訪問したある協会で見知らぬ学生の私に細かなアドバイスをしてくださった理事のIさん
  • 台湾留学生の友人が希望していた美大の受験をあれこれ手伝い無事合格し、逆に自分の方が色々学んで貴重な経験をさせてもらったCさん
  • 同じくインドからの留学生で、寮の申込みを手伝っていたら後に、物凄いエラい研究者で一緒にジャンクなうどんを食べに誘って申し訳ないと思っているSさん
  • 学部の同期で卒業後他大の院へ行き、研究に精を出して良い刺激をもらってるHさん
  • 同じ同期でアトリエ事務所にいった良きライバルのKさん
  • 二年生から卒業制作まで、そして今でもアホ話に付き合ってくれる理科大院のWさん
  • 京都に来てしばらくの間、名前が同じという事で序盤かなり頼りきっていた先輩のHさんと、類まれな情の深さに関心するSさん
  • 自分の頭で考える機会を作ってもらい、そして自分が出来る事を繰り返す事は恥だという事を教えてくれるボス、N先生
  • 自分の専門外の情報系の知識を、さらに上の段階へ引っ張ってくれるM先生
  • そして過去も今も、等身大の自分に最も身近で、同じ高校時代の友人の中で今でも唯一といってよいくらい価値観を共有出来、自分の20代にデカイ影響を与えたキーパーソン、岡本

彼からは今回、本来はベトナムにいるのに何故かフランスのパリからアロマキャンドルを贈って頂いた。冒頭の画像がそれ。

前回と同様に事前連絡無しで突然来て、宛先も(前回はシンガポール)同様にベトナムからじゃなく、来たときはぶっちゃけ怖くて変な電線が入ってないかゆっくり開封しているのだが、まあ彼なりのサプライズという事で。

アロマキャンドル。見るのはワインとチーズにハマってた7年ぶりだろうか。こういうのはおそらく自分が買うことは無さそうな非常に文化的なプロダクトなので、試せて嬉しい。
いつか彼とはとんでもなくユニークで(欧米解釈のuniqueの方)、グローバルに影響を与えるプロジェクトを一緒にやりたい。それまでに次の段階の自分にならねばならないので、休む暇はない。

あ、ベトナムからアクセスしてる日本人の方達、Vetterおすすめ。
フリーなオフラインメディアなのに週一発刊って、それってネットと紙のいいとこ取りっしょ?

関わってきた人、助けてもらった人は他にももっともっとたくさんいるが、とても書ききれそうに無いし今AM5時で頭がボーッとするのでこの辺にしておく。

彼ら彼女らは、当たり前だが自分が選択した道によって出会った人達。

26歳になってよく理解したことは、「他に」期待をしてたらただ年だけ取っていくという事。

そして、理想があるなら自分が変わっていくしか他に手段は無いという事。プロスポーツ選手とかはきっとこの極地にいるんだろう。

来年の為の準備が整っただけなのに、何か達観したっぽい日記になってしまった。

 

とんでもない地震があった2011年の今年。余震は今も続いている。もしかすると東京で京都で東海で、同じような大地震が起こってしまい、東日本大震災以上の災害が今後無いなんて全然言えない状況なのだ。

それでも、生命に関わる事以外の不安は特に無い。理想があってそれに向かい続ける気力さえあれば、何とかなると信じているので。

以上、東京へ行くと決めた最初のピリオドから長い長い6年目に付けた二つ目のピリオド。勤務地は東京だ。

自分が変化し続けて一昨年度見ていた東京とはまた違って見える様に、
そしてこれから探す三つ目のピリオドを見つけられる様に、まずは納得のゆく面白い研究をして修士論文を書き終えたい。

 

 

PS

メール、電話、Twitter、ブログから応援して下さった方、お祝いメッセージを送って頂いた方、ありがとうございました。今後も頑張ります。

3 Replies to “セカンドピリオド”

  1. @tt1w  描く理想があって、それに向かい続ける気力を持ち続けていれば、どんな困難でも必ず何とかなると、おれもそう信じている。最後のこのくだりは強く共感する。お互いがんばっていこう。 http://www.mrkutai.com/2011/05/05/2ndperiod/

  2. My fiancé has made me iced lattes by pouring the espresso & milk in a cocktail shaker, then draining it over more ice once it’s cooled off some in the shaker. Of course, in that case I’m sure the milk/half&half helps cool it down, too, but maybe the same technique would work with straightup coffee.

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